「枠」・・・この言葉をデザインをしている立場から説明すると、それは誰しも無意識のうちに意識してしまう視覚的な効果のことだといえるだろう。
誰しもが好き嫌いに問わず、この枠を意識してしまっている。
この本質について例を出しながら深掘りしていく。
まずは例を出そう。人は下図の様に、枠を無意識に捉えているといえる。
図ではとても分かり易い例を添付したので、当たり前だと言われるかもしれないが、人が枠をどう捉えているのか、これを理解するだけでレイアウトについてロジカルに考えることができ、デザインのヒントになる。
普段、資料作成などされている方はなんとなくイメージがわくと思うがこの枠を配置していくのがレイアウトだ。
先に出した例のレイアウトを少し変えてみた。
インターネットの画面に表示されているものと考えていただきたい。レイアウトを変えた結果、どうイメージが変わっただろうか。
左側のレイアウトはブログの一記事のように見えるだろう。とある企業が開催した音楽イベントの様子をプログとしてピックアップした様な感じだ。対して右側は音楽イベントそのもののホームページの様に見える。これはヘッダー画像が画面全体を包括している印象があるからだ。
素材はどちらも一緒であるにも関わらず、レイアウトだけでそのページがユーザーに対して与えている印象は変わった。さらにここに書いてある文字は日本語ではないため、実際に何が書いてあるのかはわからない。つまりレイアウトという視覚的な影響だけで、このページが何のページなのか、どんなサイトなのか、ある程度情報を操作できるといえる。
それは人が無意識に枠を意識しているからではないだろうか。
当たり前のことのように思える。が、しかし先述したが、これを意識するだけで、デザインを考える際のヒントをたくさん見つけることができるようになる。
また少しレイアウトを変えてみた。
黄色い部分の枠をヘッダーの領域まで侵入させた。この様に枠を超えるとその部分がアクティブな印象を受けないだろうか?
この効果をどう使うかと言うと、例えばはみ出した黄色の部分に重要なことを書いておくとそこがより目立つようになる。
例えば
「今なら無料!」 「◯◯募集!」
のように。
ファッション雑誌などの紙媒体デザインではよくやるが、目立たせたい商品を商品紹介欄の枠からはみ出るように配置することもこれと同じ理論だ。
ちょっと昔のかなり印象的だったYahooの広告に下図のようなものがある。
単純に広告が大きいから印象的というのもあるが、それ以上にアクティブな印象を受け記憶に残る。
先ほど出たこの画像。実は文章の書き方を左右で変えている。左は2段、右は1段だ。
別に何段であろうと問題ないが、1行あたりの最適な文字数を考えているかどうかが重要であることを言いたい。例は日本語ではないので、どちらが良いかは判断し兼ねるが、人は1行(縦書きなら1列)が長いと読まない傾向にある。適切に区切ろう。そして、これにも枠の概念があるのだ。読みやすい枠(この場合は文章の塊)のサイズがある。
さらに文章すら枠と言った本質はここからだ。
人は1文字1文字読もうとしても、数文字~数十文字を枠として捉えて一気に読み込む。文章を早く読むための秘訣は実はここにある。速読の秘訣は一度に文章を捉える枠を大きくしていくことにある。ブロック単位で読んでいくそのブロック自体を大きくしていくということだ。
つまり、いかに一度で多くの文字数を認識できるかなのだ。ここまで来ると、人がどうしてもモノを枠で捉えてしまうことをご理解頂けたのではないだろうか?
文章すら枠なのであり、人はいつも枠にとらわれている。
文字ですら枠で捉えてしまう・・・枠からはもう逃れられそうにはない・・・。
だからこそ、枠を逆に意識し利用するという方法があり、それが「枠を超える」というデザインだ。枠を意識しているからこそ、そこを超えていくことで、アクティブな印象を受けるデザインができる。
話は変わるが人生でも同じこと。人にはコンフォートゾーンがある。コンフォートゾーンとは、“人が快適にいられる場所”を指す。そうだ、人は無意識のうちに、コンフォートゾーンという枠を捉えているのだ。
そこからはみ出そうとすると、いわゆるメンタルブロックっていうものが働いて、行動を抑制する。この快適にいられる場所、コンフォートゾーンから抜け出さない限り、自分の目指す新しい世界には行けない、とも言われている。
無意識にコンフォートゾーンを捉えているからこそ、無意識にそこにずっとハマっている。「ここ気持ちええわぁ〜」という感じで。
デザインも無意識に枠を捉えるから、ずっと枠にはめ込むだけのデザインになる。しかし、デザインは無意識で捉えていた枠を意識的に捉え直すことで、枠を超えてアクティブなデザインができあがった。
人もコンフォートゾーンという無意識の枠をあえて意識して捉え直すことで、かっこいい自分になるための手段を見つけられるんではないかと筆者は思っている。
さて、デザインの枠の話から、とんでもないところに着地してしまった・・・
が、自分の人生もデザインも、枠を意識的に捉えながら、全体像を創り上げていくことは大切なことなのだと考えている。