人は情報を視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感で読み取り解釈します。情報を読み取る際には、文章、画像・写真、音声、動画などいくつかのフォーマットから情報を読み取ります。それぞれのフォーマットで、人が情報収集する際に五感のうち何を使うかは異なりますし、伝えられる内容も異なります。そして伝えるためのメディアも異なります。例えば新聞では活字(文章)や写真は使えますが、動画や音声は使えません。動画メディアでは動画で詳細を伝えることはできますが、音声がないと何を伝えているかわからないものもあれば、音声がなくてもわかるものもあります。様々なフォーマットの中から何を選ぶのか、それは訴求する側にとって重要な判断です。
それぞれのフォーマットに得意・不得意とするものがあります。
文章フォーマットは、何かの説明や解説で使われる際、文章それだけでは言葉の解釈がずれることでミスコミュニケーションになる可能性が大きい一方で、手紙やセールスレター(ターゲットにものを売るときに使うオファーの文章)など、メッセージ性が強い文章で相手を感動させたり、説得したりする点では、他の何よりも強い訴求力を持っているかもしれません。文章の欠点としてミスコミュニケーションをあげましたが、私はそれがある意味で、手紙やセールスレターにおいてはメッセージ性の威力を強めているのではないかと仮説を立てています。“人は信じたいものを信じる”という傾向がありますが、手紙をもらった人は真剣に相手の思いを汲み取ろうとしながらその手紙を読みますし、セールスレターを読む人は、それが自分の悩みを解決してくれるものであるといいなと思いながら読みます。そこに感動するような内容や期待に応えるような内容が書かれているとその世界に入り込んでしまいます。
では動画や音声でそういうことはないのか、ですが、動画や音声は内容以外のものが大きく影響を及ぼすため、文章が万人にとって効果を出せるものだと思っています。例えば動画はその人の表情や撮影風景などが影響を与えます。音声はその人の声質や話し方が影響を与えます。それが良い方向にも悪い方向に働く可能性があるので、万人にとって一定の効果を出すなら文章だと思っています。人によっては動画や音声の方が良いパターンもあるでしょう。
ただ、何かの説明や解説、雰囲気を伝えるときには、やはり動画が圧倒的に優れているでしょう。ただし再生環境や再生コストは考慮する必要があります。再生環境の考慮とは、音声がなくても理解できるようにキャプチャーを入れたりする工夫やネット環境的に高画質再生ができるかなどです。再生コストの考慮とは、そもそも動画を再生するためにクリックしてもらえるかどうかです。例えば商品の購入において、検討初期段階ではじっくり動画で情報を入手するというよりは、すらすら情報を見たい人が多数派ではないでしょうか。3分の動画を見てもらうのは中々コストが高く、いくつかの訴求力のある画像を提示する方が結果的に情報を見てもらえ、訴求として効果的になります。
ミスコミュニケーションについて先ほど少し書きましたが、もう少し具合的に考えてみます。そもそもミスコミュニケーションはどのようにして生まれるのでしょうか。そこには情報の“解釈”と“コンテキスト”という概念の理解が必要なのではないでしょうか。
情報の解釈というのは、Aという内容を文章で伝えた際に、相手が受け取る情報はAではなく、“文章化されたA”です。そしてその“文章化されたA”には必ず解釈の余地が含まれます。相手は受け取った“文章化されたA”をその人なりに解釈をして“文章化されたA”をA’に変換します。つまり、Aが“文章化されたA”にまず変換され、それが相手の解釈を通じて、A’に変換されます。これがミスコミュニケーションが生まれる1つの要因です。
そしてコンテキストというのは、文脈というような意味ですが、その情報を受け取るに至るまでの前段階があるわけです。例えば、「甘党が集まる会」でお土産として配られたものは、箱を開けるまでもなく「甘いものではないか」と思ってしまいますが、それは「甘党が集まる」というコンテキストがあったからです。
コンテキストはその事象が起こるちょっと前段階のものもあれば、その人の人生経験といった壮大なスケールのコンテキストもあります。
コンテキストは解釈を左右する要素です。人によって解釈の余地の幅は変わります。それはコンテキストが影響しているのではないでしょうか。誰かに正確な情報を伝えるために、解釈の余地がないように情報提供したと思っても、相手が思いもよらないところで別の解釈をしてしまうことがあります。それは相手の中にあるコンテキストが大きく影響しています。
文章だけでは言い表せないものを画像や動画で補足したり、動画だけではわからない情報を文章で表現したり、様々なフォーマットを組み合わせることで、できるだけミスコミュニケーションをなくすことができます。
さらにミスコミュニケーションは解釈やコンテキストを修正することで最小限に留めることができるでしょう。コンテキストは“情報を受け取るに至るまでの前段階”と言いましたが、ここに着目して、商品訴求におけるミスコミュニケーションを抑止することができると考えられます。
例えば、掃除機を販売するとしましょう。吸引力にすぐれた掃除機といえば性能として優れていてそれだけで売れそうな気がします。ただそうなる前提として「吸引力が優れている=ゴミをよく吸う優秀な掃除機」というコンテキストがあります。しかしコンテキストを教育によって修正することができ、“軽くてコンパクトな掃除機がどれだけ実用的か”を訴求できたとしたら、果たして吸引力の強さが最大の訴求になると言えるでしょうか。
掃除機を選ぶ判断基準が変われば、選ばれるものは変わります。コンテキストの修正にはそういう力があるのだと私は考えています。“軽くてコンパクトな掃除機”を販売している企業にとって、吸引力が優れている掃除機が一番だと思っているユーザーに「うちの掃除機は軽くてコンパクトです」と伝えることは、情報伝達は正しく行われていたとしても、本当のその価値を伝えられていないという点でミスコミュニケーションが生まれていると考えられます。この場合、掃除機の実用性を具体的な例と合わせて説明することで、実は軽くてコンパクトな掃除機が実用性があることをわかってもらえるかもしれません(この掃除機の話は例ですが)。そうすることで、ユーザーのコンテキストが変わり、本来の価値がよりストレートに伝わるようになるのではないでしょうか。